ほんとうにたいせつなこと
想いが爆発しているため長文
なんどもいうけれどここの記事はわたしにとって遺書であり読み手のことは一切考えていません。もしいきなり倒れたときにこんなこと考えてたんだっていうものを残せたらとおもっているだけです。
はい、はじめ!
今日は二日酔いからの打ち合わせの連続、
総じていい日だった。
し、思うことが本当にたくさんあった。
良い日ではあったけれど、
頭に血がのぼることもあった。
守秘義務のため詳細はかけませんがつまり、
真面目はばかをみるということがあってはいけない。
こんなに頑張っている人がなぜこんなに苦しんで涙を流さなければならないのだろうかとおもった。
だめ、ほんとに、わたしが怒り狂いすぎて相談者の人からは逆に笑顔が出た。自分のためにこんなに怒ってくれる人ははじめてだと。
優しい人だと言われたけどそうじゃなくて単純に自分と重なったんだと思う。
ばかにするのもいい加減にしろと乗り込みたいくらいだったけど頭を冷やして考えた。
そういうひとはそれまでのひとなんだと。
行動で失った信頼は行動で取り返し、
言葉で失った信頼も行動で取り返し、
それが誠実さだとわたしはおもっていて、
もし信頼を失うと取り戻すことは困難であるけれど、取り返そうとする過程が人の心を動かす、ということはあるとおもっています。
相談者さんが想いを伝えること、自分のせいにすることを続けていたら疲れてきたといっていてすごいすごいすごいわかるとおもった。
なので久々に人に話すということをしました、とのこと。
なんか言葉が途切れ途切れできこえずらかったのもそれみたい。人と話せなくなってしまったとのこと。
昔は明るくてハキハキしてて元気だったそう。今は人と話すという気力が残っていない、生きた心地もしない、他人に使うエネルギーを極力無くそうと思うと誰とも会いたくないし関わりたくないし話したくないとのこと、
そしたら声が出なくなってしまったらしい。
さすがに声が出なくなったことはないけれど、いってることはやばいわかる。
でもこうしてぽつりぽつりでも話してくれたことにはわたしになんらかの救いを求めてくれたからで、期待があるからで、
その期待を絶対に裏切りたくないとおもったし、その勇気を考えたら、1人で抱えていたのかとおもったら相談者よりもさきに涙が出てきた。
やっぱり変えなきゃ、変えたいと思った。
本当に大切なことを教えてもらった気がしました。
ほかの出来事もそう、
知人のオープンしたコワーキングスペースは活力で溢れていた、わくわくがつまっていた、それはやはり魅力的な人の集まりだからだとおもった、包み込んでくれるような優しさがあって、こうしたいっていう想いが本当にちゃんと、形になってるとおもった、
それから多分新たに委託契約を結ぶことになる担当者の人、そのひともまた、想いを持って本当に真剣に仕事をしていた、
つぎ、契約は多分結ばないけどお店と親和性を持って付き合っていけそうな女性、そのひともまた素敵だった。こんなに想いを持っていたらきっと仕事で裏切るようなことはしないのだろうとおもった、で、とにかく仕事が早い。
で最後、フリーランスのイベントのお手伝いで話した方もみなさん魅力的だった、
むしろ魅力的でないとこういう働きかたで生き残ることは難しいからだとおもった。
特に印象に残ったのはカメラの仕事をしている方の話、
写真を撮るときも意味を持つこと、
何を伝えたくて撮るのか考え、表現すること
それは写真だけじゃないとおもった
伝えきれないほど、出会った人全てが素敵だった、おまけに今日出会った人が週末お店に来てくれるとのこと。
最近思うけどほぼ毎週だれか知人が奥多摩まできてくれるけど、そんな個別できてきてって営業活動してるわけじゃない。
全体告知はしてるけどね、
なのに遠くからわざわざきてくれる、
もちろん知人だけじゃないのだけど、
そういう人たちへの思いを裏切るようなことはあってはならないとおもってる
うわべだけいいこと言ってればいいわけじゃないとおもってる
行動が伴っていなければそれは全て嘘になるとおもってる
こうであるといってるんじゃない、わたしはそうおもってる。
嘘つきは最低だ
わたしは最低な人間になりたくない
仕事をもらうこと、やるべきことがあること、それはすべてなんらかの期待をうけとっているということ、
これはわたしが今お金を頂いていることすべてを仕事とよび、そうおもってる
その期待を裏切るってことはばかにしてるに等しい、おおげさかもしれないけれど、こうしてほしいのでもこうあるべきなのでもなく、わたしはそうかんがえているというだけということ
呆れられたらおわり、なにもいわれなくなったらおわりってよく新入社員のときいわれてて怒られ続けたことに今でも感謝してる。
それをしてくれなければきっとわたしも平気で人を傷つける人間になっていたとおもう、
言い訳をしたことはない。
なかなか怒鳴られたけれど正論だったから。
やるといったことをやらなかった、
1分でも会議の時間に遅れた、
折り返すといったのに折り返さなかった、
はじめはたかが1分とおもった、
でも言われたのは、お前にとってのたかが1分は超多忙な経営者からすると1分も、なんだ、と。お金をもらうということはビジネスなんだと。待たせることは時間泥棒なんだともいわれた。
それからわたしは本当にそうだなとおもったし、時間をもらうということは貴重な生きる時間をいただいているということなんだと意識するようになって、
仕事への姿勢が変わったし、
一見厳しいとか苦しい生き方とかおもうかもだけど、わたしにとっては言い返したりふてくされる余地もなく正論だとおもって反省して、成果も出るようになった。
信頼できるといわれるようになったし、なによりかかわるひとが喜んでくれるようになった。
やばいことやらかしたな、っておもったら少なくとも自分なりにできることはやってきた、すくなくとも自分はだけどそれで修復をしてきた。
クレームがわかりやすくて、例えば理不尽でも怒らせたという事実はある、理不尽だから謝らないではなくて、
理由はなんであれ自分が怒らせたという事実に対しては謝ったり取り返す行動をしてきた。
自分がどう思おうと、怒らせたことは怒らせたからである。
解答例としては
まるまるについては確認中でお時間いただきますが気分を害してしまった点につきましては本当に申し訳ございません
とにかく怒ってる原因がどうよりも
怒らせたことをなんとかするのがさき
これも良い勉強になった。
今思えば約束を守るなんて小学生みたいなこと、でもおとなになっても当たり前のことが当たり前にできない人がおおいんだって。
そんなことを改めて考えさせられたし心底情けないとおもった。
そういうわけで今日は本当に本当に大切なことをたくさんおしえてもらった。
その大切なことを守るひとものことにエネルギーをつかっていきたいし妥協してはいけないところは妥協しないことが大事だと思いました。
おわり
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