いばしょについて
今日は朝から異文化交流をし、
夏バテか、なかなか体調が悪かったので病院にいき、念願の未来食堂にいき、打ち合わせ2件行い、ブックラボトーキョーで本を買い、高速バス、富士急横目に通り過ぎました。
夜は女子会&メールカウンセリング。
なかなか濃い1日でした。
体調は今は薬で全回復!遠征前に治ってよかった。
最近、わたしには居場所がないのでいてもいなくてもいいんです。っていうことばをよくききます。
そんなことないよ、とも、そうですね、いてもいなくてもいいですね、ともいえません。
なぜそうおもうのか。
まずいばしょ、について考える。
いばしょとは役割です。
認識もされない、手伝いなどもさせてもらえない、わたしは小さい頃それでおうちに自分の居場所をみつけることができませんでした。
なので仕事でもプライベートでも外での活動や人間関係において、
役割をもらうとか、必要とされるとか、自分の知らないいろんなところに連れて行ってもらうとか、
そういうことにわたしはこの上ない喜びをかんじてきました。
たくさん働きたいとか、いつか家庭を持ちたいとか、
そういうことってわたしの場合は単純に居場所がほしいというだけのことなのだとおもいます。
だからそういう人の気持ちがわかる分、適当なこと(そんなことないですよ、あなたはいてもいなくてもよくなんかないですよ的なこと)はいえません。
必要とされてると感じることはそんな簡単なことではないように思います。簡単だという人もいると思いますが。
だからこそ、何でそう思うのかが大事だし、わたしの欠けてる部分をあなたは補っているよ、だからあなたがいないと困るのよくらいのことが言える関係構築が大切だと思っています。
そんなとき、こんなわたしにも過去、そんなこと言わずとも行動で示してくれた人がいたことをふと思い出します。
その優しさにそのときはあまり気づけなかったような気もします。あとは気づいたとしてもわたしの未熟さゆえにどちらにしてもその想いを維持できなかったと思います。
今気づいたならそれでもいいんですけど。
それをおもいだして、クライエントの方にはより詳しいヒアリング、具体的な言語化を意識し直そうとおもいました。
必要とされるように自分も努力をするけれど、必要としてくれるから花が開く、
鶏が先か卵が先かみたいなはなしです。
わたしの場合は後者です。
富士山のちかくにいますが涼しいです。クーラーいらず。
ねる
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