たびをするということ
たび、すごくながくかんじる。
いろんな人に出会い刺激をもらい、楽しいけれど、
結局大切なことは戻った時のこととか、戻った時のひととか、戻る場所とか、なのであります。
で、大学の頃わたしはなぜ人は旅に出るのかという卒論をかいたことをおもいだしたのですが、
結論としては、自分さがしの旅なんていうけど、結局本来の自分に気づいたりそれを取り戻すのが旅なのだという文章を長々と書いたおぼえがあります。
それでいえば、わたしはもう充分すぎるくらい旅をした気がする。
だからわたしは新しいものや本来の自分より、帰るところをさがすたびなのです。それがわかったのがまさに今回の旅なのです。旅っていうか仕事の旅費できてますけど…
で、いままさに旅しながら働くってやつをやってるけど、わたしは自由人だとおもってたし、いままで束縛してくる人を、あーもううるさいなぁとおもってた。
けど、わかったこと、
自由ってこんなに寂しいんだなと。
拘束してきてくれた人たちが今更恋しい、ないものねだり。いかに自分中心に生きてきたか気づかされました。
やりたいことをやる
自由に生きる
楽しく生きる
わたしはわたし、あなたはあなた
そうおもってきたのだけど、
これって聞こえはいい、前向きで明るくで自立してる感じがする、
でも相手のことをぜんぜんかんがえていなかったなっておもいました。わたしがおもっていたよりわたしのことをおもってくれていたひとびとがいたんだなっておもいました。
今一番主軸にしてた仕事をなくして急に不安定になって、すごくよかったのは、
こういういままで自分勝手だったことにきづいたのと、あと、今日おもったけど、
やりたいこと、とか、なにをするかばかりかんがえてきたけど、
実は選んできたのってそうじゃなかったんじゃないかなって、
前々職の業務センターの前をたまたま通っておもいました。博多の業務センターの方々にはとてもお世話になったし、電話とメールしかやりとりしてなかったのに辞める時送別会まで開いて色紙もくれた。
素敵な仲間、安定した給料の道を自分で外れて今に至るけど、
そこまでできたのってなんだろう、そこまでしてしたかったことってなんだろう、ってかんがえました。
それにもし第二の人生を考えた時、
いきなりどこかに飛び込むのはもう厳しいとおもいました。したいことができればいい、そうおもっていたけど、そうじゃないんだなぁって。
何か新しいものを得たいとか自分をとりもどすとかじゃなくて、
なにが本当に大切にしたいことなのか、それを考えさせられています。
いまこういう状態になったのも、
たぶん気づかないといけないことに気づいてってサインのような気もするし、
とにかく、いつも、とか、ふつう、とか、あたりまえ、の時間を大切にしたいとおもいました。
このたびではかなりひとと話している方だけど、なのになんかすっごく寂しい。楽しいのに寂しい。楽しいから余計寂しい?ちょっとわからないけど、とにかくうずらを早く抱きしめたい泣
それからいろんなひとがいろんなふうに助けようとしてくれてる。こんなに弱音を吐いたり自分からひとに連絡をしたのは初めてかもしれない。
ほんとに泣ける。
お金と仕事に困ることはないとおもってた、
それはただの過信で自分からしごとをとったらほんとにいてもいなくてもいいにんげんになっちゃうとおもったんだけど、
困ってはじめてこんなにひとが自分のために動いてくれて助けてくれようとして支えてくれるってことにきづいた。これがなかったらきっと、わたしはひとりでなんでもできる、って気張っていたと思う。
泣ける…
占いに
>居場所を探し続けているけれど本当はあなたの居場所が用意されていることを知っているはずです
とかいてあったのがぐるぐるめぐる
旅をしながら自由に働く☆なんてわたしは今時で夢見たいな自由人向きではないことがよくわかった。
いまはとにかくはやく帰りたい…
1コメント
2019.01.08 19:42