ねこのように生きていきたい
昨日お客様とはなしてそうだなぁ、とおもったのが、ねこは人間の機嫌などとらない
ひともねこに愛情をそそぐけど、ねこも人に愛情をそそいでくれる。
たしかに!
ねこに甘えられて、鬱陶しいなんて思わない
仕事の邪魔をされて、イライラなんかしない
なんでひととひとはそういられないんだろう。
嘘をつくかもしれない、裏切るかもしれない、そういうことを考えるのだろう
生まれた時からそうってことはない、
前にセミナーできいたのは、子育てで一番いいのは特別なことをするのではなく生まれた時の状態を維持することだって。
生まれた時はとても清い心を持っているのにひととのかかわりのなかで減点方式で嫌な思いをすることで正確が変わっていってしまうのだと。
なるほどっておもった
ので、つまり人を疑うひとだってくらいひとだって、何かあってそうなった可哀想なひとなんだとおもう。その人が悪いんじゃない。
だから自分も、ひとにトラウマになるようなことをしてはいけないのだとおもう。
嘘をついたり傷つけたり、
もしそういう人がいたらそれを責めるのではなくて自分にできることは承認だったりそれでも許したり信じたりすることなのだとおもう。
わたし自身、かなり人を疑う人間になってしまったし、また傷ついたら嫌だとか、全部嘘なんじゃないかとかそういうふうにひとをみるようになってしまった。
というのも特にこの10年、
信じて騙されて傷ついてまた信じて裏切られて、そんなことばかりでどんどん磨り減った気がしていて、
でもそういうのを超えたところに本物があるっていう希望をもってやっていかないと生きてらんないなとおもってます。
なので少なくともできることは自分がされて嫌だったことをひとにはしないこと。
すり減ってすり減ってきてかわってしまったにもかかわらずそんな自分を見捨てなかった人たちに感謝をして、
取り戻していくこと。
だとおもっています。
それに、最近おもうのは、
都会でガンガン外に出ていた時は好きなことがあって夢中で、周りのことなんて何も見えていなかったとおもいます。
寂しいといわれても、そんなの自分でなんとかしてくれとおもっていたし、
自分が楽しいことだけが大切だった。
でもいまいろんなことが閉鎖的になって、
寂しいっていうのがはじめてわかったとき、
なんて自分勝手だったのだろうとおもうようになった。
あんなに人を紹介してくれて、いろんなところに連れ回してくれて、
それを鬱陶しいおもっていたなんてせいかくがわるすぎる。
そういうことに気づくためのいまだったのだとおもってます。
自分がどうしたいかも大切だけど、人がどうしてほしいかもきちんと考えなくてはいけなかったのだとおもいます。
で、猫のはなしにもどると、
ねこは自由気ままにみえて、
どうしてほしいかも満たしてくれる、
こんな関係がいいなとおもいました。
とくに見返りをもとめるなってよくいうけど、
わたしは求めていいとおもってる。
ギブアンドギブは意識してるけど、
こんなにやったんだからこうして、って悪い発想でもないとおもってる。
あなたのためにこんなにしたのに!
といわれて、きづかなかったごめん!ありがとう!!ってことけっこうあるとおもう。
てかそれでいいじゃんとおもう。
でも個人的にはそれをSNSだったりしらないひとにむけてもなんかちがうし、そこで承認されても本物ではない気がして寂しい。
これをしちゃいけない、こういっちゃちけない、
その次元で途切れてしまう関係ならそれまでかなぁっておもうし、長い人生続く関係じゃないのでは。
でもそれは互いにそれを受け入れる器がありきの話であるとおもう、
なのでねことひとはそれを受け入れあっているのだなぁとおもうと、ねこのように生きていきたいし猫を受け入れるように人のことも受け入れたいと感じました。
0コメント