おおあめ、30歳になった
もう数日経ってしまったけれど、
先日ついに三十路を迎えました。
18日の藍坊主で発狂して帰ってきて、
山奥に星を見に連れて行ってもらい流れ星を見ました。くま、出そうなところでした。
藍坊主の興奮もあり記憶がありません。
ライブでもいっていたけれど、当たり前の幸せ、本当に大切です。
それは前からわかってるつもりだけれど、例えばその当たり前の優しさに浸ったとして、
ラストソングって曲の通りで、
>決して長続きしない幸福感、安定なんて知ることのない安心感、
のぼったかと思えばすぐに崩れる、何が素晴らしい世界だって。
これなんですよね。まさにこの通り。
もはや幸せを感じることが怖い。
あー幸せと思ってもいつまで続くかわからない、幸せを感じない方が幸せなのでは?とおもうくらいです。
でもそういうものは自然に湧き出てくるものなので仕方ない気もします。幸せなのにわざわざ不幸せだと思うことも変だし。
でも、藍坊主みにいったとか、お祝い嬉しかったとか、この先がどうであれこれは幸せだった。一旦それで良いです。
誕生日プレゼントくれる人がいたり、
たくさんの方から連絡がきたり。
本当にそれ自体はありがたいことです。
でもふとおもったんですが、
素敵な一年にしてねという連絡が山ほどきました。
それに対して、素敵な一年にできるように頑張りますってなんども返信して、
素敵な一年て、頑張りすぎなきゃえられないものでしょうか。
いまだに大阪に行ってたら人生の全てがかわってたのかなとか、これでよかったのかなとおもうことばかりです。
いまだに思い出すと頭に血が上りそうな出来事がフラッシュバックします。
データのように完全に上書き保存ができたらいいのにと思います。
本当は、そういうのを解消して30歳を迎えたかったのですが恨みつらみをかかえたまま、また歳をとってしまいました。
でも今思えばいろんなことに感謝をしなければいけないと思います。たとえ幻想でも叶わなくても、叶うかもしれない夢を見せてもらっただけでもありがたいです。
今日は友達が2人ほぼ同時に子供を産んでその写真をみました。とっても可愛かったのと母子ともに健康でよかったです。
同時に、なんだか置いてかれていくような寂しい気持ちにもなりました。
さいきんは毎日キラキラした学生さんの面接と、今にも消えてしまいそうで目が離せない方の話をきくのですが、
本当に人生いろいろです。
刺激的で考えさせられるばかりです。
おおあめひとり、災害がわらえなくなってきます。あぁ、このまま雨が降り続けて土砂が崩れたら一人で死ぬんだと思いさっき遺言を残そうとしたら寝ました。のんきです。
悪い人生ではなかったですがこのままでは成仏はできないと思います。
もう藍坊主のライブの効果が消えてきてしまいました。雨のせいか頭がいたいのと異常な眠さです。
起きたら土砂に埋まってるなんてことがありませんように。どうしようもないので寝るしかない。
当たり前の幸せをどこまで信じられるか、それが今後の課題です。
0コメント