いまがあるふしぎ
あしたプレオープンだけれど今日も朝はしごとしました。すごくねむいです。
父から手紙が届いたことについて、残しておこうと思います。
亡くなったわたしの母についてでした。
前にも書いたけどわたしは生まれた頃に亡くなっているので母のことを知りませんし、
義理でももう母がいるので聞く必要もないかなと思っていました。
でもどこかでどんな人から自分が生まれたかわからないのは不思議な気持ちだなとは思っていました。
手紙には産んでくれた母との出会いからどんな風に付き合うことになりどこに住み、母がどこで働き、どんな人だったかがかかれていました。
あえて自分からきいたことがないのでなんだか初めてイメージできました。
おばあちゃんからもきいていたとおりかなり気が利いてとても元気な方だったそう。
声が大きくて元気で学校でも突出するほど目立つ存在、それはわたしに似てないなと思いましたが、元気は引き継いでるかもしれません。よくいわれるけど顔はとても似ているそうです。
わたしはやっと生まれた子供でそれを母が父に伝えたのはクリスマスだそうでとても思い出に残っているそうです。
けれど念願の子供が生まれてこれからというときに癌で亡くなるというのはどのような気持ちだっただろうと思います。
子を持ったことのないわたしには想像ができません。
それを思うと小さな頃からわたしは生まれてよかったのだろうか?とおもってきました。それで深刻に悩んだり死にたいとかは全然ないですけど、純粋な疑問として思ってきました。
でも逆になにか使命感を持って生きなきゃなぁと思うようになりました。
この手紙は続くみたいなのでなんだか小説を読んでいるようでした。
色々あって家族というものに対して心を閉ざし、それと同時にそのほかの経験も通じて人間関係においてもどうせ裏切るだろう、どうせ嘘だろう、どうせ別れが来るだろうというふうにおもい、それを前提に日々を過ごすようになってしまったのですが、(人は好きですが距離感の問題)
藍坊主のマザーみたいに、
もう一度この世界を信じてみようと思った
みたいな日が来たらいいなぁとおもっています。
で、明日から台風らしいですけど、
なにも間に合っていないまままとりあえずお店を開けてみることにしました。
これもまたよく考えると本当に不思議です。
キャリアコンサルタント になりたい、
開業したい、
お店を持ちたい、
田舎に暮らしてみたい、
思ってることって、なんか勝手にそうなっていくんだなぁと本当に思います。勝手にというかもちろん自分が起こすアクションや決断でそうなっていくのだとおもいますが、
チャンスに恵まれている点については自分がすごいのではなく運がいいとしか思えません。
こうしたいとかっていう想いは、
自分次第のことであればどこまでもその通りにできると思っています。
そこで難しいのが1人ではできないことがあった時です。
1人でなんでもできるとおもっていたけど本当は1人では何もできない、
わたしだけでは生まれてくることすらできなかったのだなぁとおもうといろいろ考えてしまいます。
とにかく、ひとがきてもこなくてもまだ何も揃っていなくてもあしたはみせをひらくのです。
やるといったらやる、
やるといったのにやらない、
その違いは大きいんじゃないかなぁといろんな人を見ていて本当に思います。
やらない、という行為はわたしは嘘だとみなしますので気持ちが悪いです。嘘のない人生を、これからもそんなことを大切にしていきたいです。
いい経験も嫌な思い出も全部、よい形で誰かの役にたつ日が来たらいいなと思います。
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