答えのない生き方
人生得とか損ではないけれど、よく気付く人が損をする。それは悲しいなと思います。
わたしは気付くというよりは疑い深いので
、アンテナを張りまくっているといろんなことを知ってしまう。
流石に人の携帯を見たことはないけれど、携帯を見なくても見れる範囲のものって今すごく多いのと、
真面目に生きてバカを見たことが多すぎて
あぁ、この人嘘ついてる、へぇみえないところでこういうこといってるんだって、20代半ばくらいからしってしまったりわかるようになってきてしまいました。
けれど、それをいったところで自分がスッキリしたいだけ、たとえ相手が悪くても相手が気を悪くするなぁと思い、
しってるのに知らないふりをし続けてきました。しかも笑う門には福来る的な感じでそういうひととも笑って対応してきました。それがじぶんでおもっていたよりもストレスになっていた気がします。
そういうこともあって心底人を信用できませんが、男女の付き合いだけでなく、人間関係全般において、
そういうことに気づいた瞬間人に対してどうせいつか別れる人、という見方をしてしまいます。
ラインもSNSのつながりも人差し指一本で切ることができてしまうのです。
それってなんだか寂しいです。
でもそういうことをするのもされるのも、それまでの関係ということで、執着する必要はないです。
こんなんだけれど、本か占いか忘れたけれど、なにかで、
あなたは悪くない
という言葉に救われたのを覚えています。
この考え方が良いか悪いかはケースバイケースなのでわからないけれど、とにかくわたしは小さい頃から30になるまで全てを自分のせいにすれば楽だと思ってきました。
嘘をつかれるのも自分のせい
浮気をされるのも自分のせい
うまくいかないのは全部自分のせい
そしたら自分のどこが悪かったかわかってそれをなおしていけば自分も磨かれていくじゃない、とポジティブ気取りしてたのですが、
でもそれは思いの外じぶんにかける負担がかなり大きかったのではないかと気づきました。
なんかそれからふっきれました。
阿吽の呼吸を求めるのは無理
相手を変えるな自分が変われ
見返りを求めるな
うん、わかるんだけど、
ある程度の我慢をしてきたらもうそういうのいいかなとおもう。
こういう考え方にあってる間違ってるはないので、わたしは阿吽の呼吸をもとめるし相手も自分も変わらなくていいのでありのままで気持ちがいいと感じる人とすごしたい。
人生もうすこしわがままに生きようと、30年しておもうようになりました。
人に対する不信感とか恨みとか自分にとって良くない感情も、
お客様だったり町の人だったりそういう新しい風が流してくれそうな気がします。
そんな風におもったここ三日間でした。
もちろん新しい風だけではありません。
新しいことが始まることで既存の人との関係が一層濃くなったり、何か変化があったりすることもあるのかもしれません。
わたしをよく知る人から、
なんかすごいスピードで色々うまくいきすぎておかしいし怖いといったら、
おかしくないよ、いままで頑張ったり我慢してきたことがかえってきてるってことだよっていわれた。
なみだでる。
はなしもどると、つまり我慢のしすぎはよくないです。
肉体的ストレスも精神的ストレスも癌に強く関係しているそうですからもしわたしと同じような経験の人がいたら、人の言う正しい答えではなくて自分の思う心地がよい答えで過ごしてほしいなと願います。
今日からまたホテル暮らしです。
どんなホテルか楽しみ。
ね、うずら。かわいいのぉ(親バカ)
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