あしたしんでもいいように
言葉をできるだけ残しておこうと思います。残せるうちに。
ありとあらゆることにイライラしても、空気を読まずに飛びかかってじゃれてきてばかやってクスッと笑わせてくる、でも涙はぺろぺろなめてぴたっとよこにいてくれる、うずら。この子はすごい。
うずらの名前の意味は藍坊主のうずらの歌詞
あなたが笑う僕は嬉しいあなたが泣くと僕は悲しい
こんな気持ちになれたから死ぬほど生きてたい
喜ぶ力、笑える意味を、いとしさの中感じることをいつか冷たくなる前に届けたいのです
そんな気持ちにしてくれるこ、みんなを救ってくれるような子になったらいいなと思ってこのなまえにしました。何度聞いても優しくて暖かい曲。
わたしはいままで、人に対してそんなふうにおもってきたしひとを支えるってそういうことだとおもってきました。
ひとが笑ってくれたら嬉しいし、
泣いてるひとがいたら悲しい、
それを倍にしたり分かち合ってむきあってくることが大切だと思ってきた
鬱の人と暮らしたことがあるけどむかつくとかはおもったこと一度もなかったしむしろ支えなくてはとおもって仕事も俄然頑張った、
じゃあわたしが笑うときはどうだろう
泣くときはどうだろう
生きてることに対してどうだろう
もし死んだらどうだろう
それを考えるとなんだか虚しくなったんですね。病んではないです、正直にそう思う。
わたしには人にあまりいってない夢があるし、
やりたいことは山ほどあるんだけど、
最終的にはやりたいことをただやればいいわけじゃない。どんなふうにどんなことをという明確なものがあってそのための今のつもりだった、わたしはだけど。
時間だけがすぎていく。
それを感じてからなんかずっと絶望して具合まで悪い。
おまけにきのうの仕事が嫌すぎていつでも連絡して全て受け止めるからといってくれていた顔見るだけで安心感があって包容力の塊の先生に電話しようとおもったけど、結局できなかった。
しごととしてやってるんだから甘えたっていいよねとおもったけど、結局わるいなとおもってしまった。
でもあの包容力は神だと思う。
電話はしなかったけどこの仕事で嫌なことがあったらいつでも受け止めてくれるひとがいるという安心感があることだけでも感謝したい。
遠くに行けばいいとかリフレッシュすればいいとかの域を超えてる。
好きな仕事をしてると調子がいいけどミスを連発、こんなに人に迷惑をかけるならと休むとそれはそれで目眩がしてほしがとぶ。
そして今日のように胸の手術をしたあたりがキリキリすると再発ではないかとどきどきする。
どきどきするっていうか、ほんとははじめからいつ死んでもいい幸せをかんじる日々を過ごせばいいはなしなんだけど。
冒頭でも書いた通りプラスでもマイナスでも言葉は残せるなら残せるうちに、残すようにしていこうとおもう。死ぬまでに何か大発明とかはしないとおもうけどこんな人間がいたということは一応残せるとこに残しておきたいとおもう。
たとえばそれでやってはいけないことをまわりのひとにやらなくなればいいとおもってる。
こういうの、増えませんように。
0コメント