どれもだいじ
今日は面談とカウンセリングを2件でおわり、あとは寝たきり。
仕事の都合でプログラミングの勉強をしてるけどなにがなんだかさっぱりわからない。
1日が果てしなく長い。
おもえば、人の幸せを願って自分は全て失った、30年間ずっとこれ。人を幸せにするために生まれてきたようなひとってよく占いなんかで言われるけど、
そんなつもりはないし単純に自分が不安症なせいで人のことも大ごとに捉えたり大変なひととか辛い人に敏感なだけで気づいた以上は何かしなきゃとおもうだけで
これが人を幸せにするために生まれたってことなのでしょうか。
いまのわたしは人生史上けっこうどんぞこだとかんじてる。
いろんなひとがなにかあればいつでもれんらくしてといってくれるけど、
なにかあるわけじゃない。
ただただ息をして吐いて日々が過ぎる。
笑わない喋らない、画面の人とはなすだけ。
だから改めて誰かに何かを言うことも特にないのに加えていってどうかなる問題じゃない。
とりあえず来週また病院にいく。
ただ今感じる絶望ってすごくだいじなことだとおもってる。
この前泣いた主婦の方の気持ち(私は主婦ではないけど孤独さ的な意味で)だったり、
別の泣いた地方には機会がないっていっていた女の子の気持ちであったり、
支援センターで号泣した仕事をしていない自分は生きていてはいけないし社会から存在を否定されてると感じるといっていた子だったり、
そういうものに近い気がしてる。
いつもぽんぽーんとうまくいってきたわたしにとって同じような経験はなかったので、こんなに引きこもることや何もしないことも人生でなかったので、
今まで自分の前で泣いてきたひとたちのいっていたことがつぎつぎ浮かんだ。
動けないって人にも、やっぱり心の底では、とりあえず動けばいいじゃんっておもってしまっていて、動きたくても動けないってあるんだなということもわかった。
だから生きてる意味のないような日々を送っているようで、誰の何の役にもたっていないように感じても、
きっとこの時間に感じてることそのものが役に立つ時がくるんじゃないかとおもってる。
空気を読まずうずらは私の体の上を駆け回り大暴れしてる。顔を何度も踏んづけられて、空気を読まないことが優しさだったりほっとさせることもあると、猫から学ぶ。
これが実は計算だったらすごい。
いろんな話だけはもらうんだけど動けない時もある。
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