いそがしい女の生き方
昨日は面談4連続、
学生さんからは何度も言うけどパワーをもらう。なんて素敵な仕事なんだろう。
そのなかでも、座右の銘は棚からぼたもちだと言う学生さんがいた。
棚からぼたもちはラッキーとか楽して手柄みたいなイメージあるけどそれはぼた餅をもらえる準備ができていてその位置にいるから落ちてくると思うのです。
だからその準備が大切といっていて深いなぁと思った。
わたしも日頃からいつでもぼた餅落ちてきていいようにちゃんとしようとおもったのでした。
なんか、この前まで委託の仕事いきなり切られてニート絶望と思っていたのがいま仕事ありすぎて、この前のをきに取引先を分散させることで経済的には安定するしいろいろいいながれ、なんだけどちょっとほんとにスケジュール管理が崩壊してる。
それに加えてやりたいことがおおすぎる。
つねにわたしはやりたいことがおおすぎるのだ。なのに仕事は誰よりも一生懸命やりたい。誰かのために何かをさせてもらえる、喜んでもらえる人がいる、凄くありがたいこと。
で、キャパオーバーになる。きをつけよ。
忙しさでふと思い出したけど、企業で働いていた時も仕事が爆発して毎日遅くまで残って、なんか急にわたし何してるんだろうとおもった時、
一緒に残っていた先輩に、女の子は定時で上がって合コン行って飲んで騒いでリア充〜が幸せなんですかね。といったとき、にいわれたことが結構頭に残ってる。
くまさんは仕事してる時すごくたのしそう。
それにくまさんもいつかは結婚したいといってたよね、この仕事とそれって全然関係ないし逆をいってるように見えるよね、僕はここまでひとのために頑張る子は人として魅力的だと思うし、たとえば旦那さんが忙しくて帰りが遅くても自分が毎日こんなに遅くまで頑張ったことがあればきっとそれを理解してあげられる人なんだと思う。そういう女性は貴重だよ。
てきなことをいわれて元気が出たんですよね。そうかわたしは貴重なのかと(笑)
ちなみにこの人は既婚でものすごい仕事頑張ってるのに帰るとおそいとおこられうんざりするといってたから余計こうおもってたんだと思うけど。
でもそうだよね、その姿みてないと奥さんもわからないだろうし、
でも少なくともわたしならありがとうだけどなぁ。とはおもう。
それからfacebookであれしてもらったこれしてもらった♡みたいなのばかり流れてきた時、こんなに愛されアピールをしてなにがしたいんだ?とおもい、
同期のメンズにも、わたしは男のひとにこんなふうに媚びたり食わしてもらったり高いバーで夜景を見せて欲しいとかおもってない、
勿論時々急にそういうことがあれば嬉しいけどそれが相手の負担になるのであれば小さな幸せが共有できればそれでいいのだけど、結局そういうおもいやりなんか無い方がモテるよね?男の人は結局そういう女が好きなんだよね?
といったとき、それはただ彼氏が欲しい彼女が欲しい恋したいっていう一時的なおあそび。楽しいかもしれないけど男は見栄を張るだけでそんなのは続かない。
男としてほんとにたすかるのはくまちゃんみたいな楽な人、そもそも別にモテるために生きてるわけじゃないでしょっていわれたんですよね。
そうだ、べつになれないものになる必要はないのだおもった。勿論モテたくて生きてるわけでもない。それはそれわたしはわたし。
それに結局そういう付き合いはわたしからも切り捨てるしひとからも切り捨てられきっと残らないのだ。
ただ、なにごとにおいてもこうなりたいに対して今にどんな意味があってどうつながっているのか、
それからじぶんがじぶんでいいと思える安心感、
それをかんじることとかんじられないことは全然ちがうとおもった。
こう考えるとほんといろんなひとからの言葉に自信をもらい、支えられてきたぁ。
結局、確固たる軸をぶらさず、好きなことを楽しくやってるひとは魅力的だ。それもひとに見せるためじゃない、本当に誰かのためにがんばってるひと。
そういうのってなんかわかる、
矢印が自分だけに向いてるうちはまだまだ。
わたしにとってはしごとかあそびかわからないお店が一番たのしい。
どうせ大丈夫っていわれたんだけど、いいことば。
うずらがいないのがほんとに寂しい。
そばにいつもいるのが当たり前じゃないってこういうことかぁ
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