ひととくらすということ
最近SNS疲れをして見る時間がへった。
かといってリモートワークはずうっとひとりだしなかなかストレスも溜まる仕事もあるけど冗談ひとつ言う相手もいないのでそういうときは見る。つぶやく。
でも、なんかいまって、発信したもの勝ちブランディングしたもの勝ちみたいな感じあるけどどうなんだろ。
いつか疲れそうだ、少なくともわたしはみてるだけで疲れる。から、できるだけみない。
結局人と出会うことが効率化することによって大切なものが見えなくなっていってる気がする。
周りの人に気を配らないくせに知らない誰かには優しい言葉をかけるとか、は典型だと思う。
昔付き合った人がほんとそれで、わたしには暴言と既読無視なのに共通の友人にはベタベタの絵文字使っててドン引きをした。わたしにその甘えを受け入れるキャパはないと思いすぐおわった。
だれかがいってた半径3m以内の人の優しさに気づいてますか?大切にしてますか?
ってやつがほんとそうで、
見えない人へだけの優しさってマウンティングなんだよね結局は。きもちがわるい。
だからやっぱり今まで生きてきてそうだけど職場の人とかお客様とか同じ空気を吸ってともに時間を過ごしてきた人が大切。
ネットでよく見せることはいくらでもできる。前に男友達が、明日はヨガ行ってお勉強してお料理してネイルして寝る♡なんてわざわざいう女、どれもやってないと思うけどね。それに引っかかるやつはアホだっていってて、わかってる!好き!とおもった。
やってるかやってないかはしらんけど、
とにかく、そんなことわざわざいわなくてもちかくのひとは普段の行いを見てくれてる。
はず。
有名人でもあるまいし。自分発信は見せたい自分かもしれないけど一緒に過ごす中で自分から発してこない変化に気づきたいとわたしは思うんですね。
だから会員制のコワーキングスペースなんて超天職だった。毎日同じ方が来て元気そうな日もあれば落ち込んでる日もある。
そういうことに気づけて、
かまってかまっていわれなくてもこちらからきづける。
だからわたしはそうやってよくみせようとする虚構のひとより暮らすひと、暮らしてきたひとを大切にしたい。
フォロワーがおおいのがいいこと?いいねすることがいいこと?新たな出会いばかり求めるのがいいこと?
わたしにはまず大切な友人が何人もいるって最近再認識したし、効率化の時代に多分乗り切れないのだろうなと思う。
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